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風間さんとの6年間を軽く振り返る

サッカー

アンザイさんからアドベントカレンダーのお誘いを受けたので今年も参加させてもらった。何を書こうか悩んだんだけど、今年、2012年から指揮を取った風間監督が退任するのでそのことでも書こうかなと。ただ、いわゆる専門誌に書かれるような”風間監督がフロンターレに何を残したのか"とかそういう類のものではなく、思い出を。

 自分が初めて風間監督のサッカーを見たのは2011年だった。ちなみに、風間サッカーに出会ってから経った年数イコール自分が大学サッカーを見ている年数でもある。では、なぜ大学サッカーを見始めたのか。当時、高校の同級生が青山学院大学サッカー部の主将をやっていたので応援しに行こうというのがその理由だ。それに加えて、流経大から山村和也、増田卓人、比嘉祐介が大学生ながら五輪代表候補に入っていたこともあり、見に行きたいなと思っていたので。

それは大学4年生のこと。そこから紆余曲折あって大学サッカーの取材をする機会を得ることができ、そこから今の職業にもつながっているのだけど、初めて取材したのが実は筑波大だった。もちろん、筑波を観に行ったのにも理由がある。当時、Numberがやっていたメルマガで木崎伸也さんのものを購読しており、そこでやたらと風間さんが率いる筑波大について書かれていたので、気になっていたのだ。そして実際にそのサッカーを見て、惹かれた。

とにかくみんな技術が高くて、ポゼッション力がある。で、なかなかボールが上を通らない。その中で
やたらビルドアップが上手い左利きのCBがいるな…
ビエラみたいなやつがいるな。
シャビみたいな選手がいるな…

とか思いながら、試合を楽しんでいた。ちなみに上から 車屋紳太郎、谷口彰悟、上村岬。

確かに当時の専修も似たようなサッカーをしていたのだけど、筑波のインパクトは大きかった。なぜだろう?
ちなみに2回ほど練習を観に行ったが、ペナ幅のミニゲームを11vs11でやっていたのがめちゃくちゃ印象的だった。

 

そして大学サッカーの取材を並行して、エルゴラの湘南担当になった。2年間このチームを見届けたのだが、その次に打診された担当チームが川崎フロンターレだった。監督は、風間さんだ。これも何かの縁かなと思って、受け入れ、そこから自分は麻生グラウンド(フロンターレの練習場)へ通うようになる。そこからひたすら、風間さんに取材した。というのも、あのサッカーはどのようにして成っているのかがものすごく気になっていたから。

 ボールを保持した攻撃的なサッカーは2012年前後にものすごく市民権を得ていたように記憶しているけど、実際にそれはどうすればできるようになるのか?と疑問に思っていたこともあった。その疑問を解消するチャンスでもあると思い、ひたすら質問をした。最初はかなりうっとおしく思われたように感じるが、徐々に受け入れてもらえるようになった…と思う。ちなみに、風間さんに褒められた(?)記事が1つある。去年のホーム・広島戦で0-1で敗戦した試合のコラムだ。気になる人、去年の末に発売されたフロンターレ365で読めるのでぜひ確認してみてほしい。

 革命前夜で木崎さんも言っていたが、風間さんの言葉は難しく、理解するにも時間がかかる。だからこそたくさんコミュニケーションを取らなければいけないと思い、足繁く通った。その中で、1対1で会話をしているときに色々と響く言葉やマインドをたくさんもらったし、その全てが印象的だった。今すぐにここで書きたいが、これはシーズンが終わってからにしようかなと思う。


とにかく、残り風間さんが率いるフロンターレを見られるのは多くても残り3試合。このサッカーでタイトルを取る瞬間が、見たい。

では、今日はこんなところです。
 

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