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元日決勝と8度目の準優勝の日を振り返って

サッカー

今更の話になるが、今年の元日に大阪は吹田スタジアムで行われた天皇杯決勝・鹿島vs川崎の試合前に感じた”嫌な予感”の話をしてみる。

色々と振り返りつつ。

 

2016年度は川崎フロンターレにとって風間八宏監督の最終年であり、時間をかけて育ててきた攻撃サッカーの成熟度が最高到達点に達そうとしたときだった(こんなことを言うと風間さんに怒られそうだが)。


筑波大学時代に風間さんのサッカーを見て、魅了され、谷口彰悟や車屋紳太郎を追ってきた。そしてエルゴラの川崎担当になり、間近で自分が好きなサッカーを取材できる機会を得ることができ、日々、得られる充実感は高かった。そこから2014年、2015年とチームを追ってきたのだが、クラブがこれまでの歴史でも見せてきた勝負弱さというか、ここぞで勝ちきれない場面も散見された。シーズンの最後の最後までタイトルの可能性が残っていたという状況は存在しない2年間と言えばわかりやすいかもしれない。「ああ、フロンターレに関わる人々はこういう感覚を幾度も味わってきたのかな」とも思った。

 

ただ、その中でも着実にチームとして成長していっているのは間違いなかった。ある意味、フロンターレのサッカーというものをイチから作り直し始めたのが2012年の頭で、周囲の厳しい声を受けながらも指揮官が求める要求に選手は応えられるようになっていった。これまでのJクラブが挑戦したことのない部分に着手していったので、フロンターレの歩む姿はやや異質だっただろう。新しいものを見ているため、観る側もどこに評価基準を置けば良いかわからない。そんな状況だったと思う。

ただ、サポーターからすれば勝って欲しい、タイトルを取ってほしい、という思いは間違いなくある。勝利至上主義ではないが、やはりクラブの歴史に足りていないそれを第一と考えるサポーターはいる思うし、それに(結果的に)応えられない風間監督のサッカーは批判も招いていた。

 

「育成か結果か」みたいな二元論はサッカーにおけるジュニア〜ユース年代においてよく話題になるが、まさにこれがトップの現場でも行われたいたといえば伝わるだろうか。フロンターレはそんな感じだった。

ここに関しては答えを出すのは難しい。ただ1つ言えるのは、日々の練習を見て、選手の声を聞いて、それらを束ねる風間監督と話すことによりチームの進化を確信していたということ。

 

そして迎えた2016年は、クラブが目指す初タイトルがかなり現実的になったシーズンであった。しかし、結果として最も欲しかったリーグタイトルは逃すことになる。失望感の大きさは言うまでもない。だがその一方、フロンターレは天皇杯を勝ち進んでいった。シーズン終了を前にして風間監督と共にチームを支えてきたエースストライカーの大久保嘉人の退団が決まっていた中、少しでも長く残されたメンバーでサッカーをしたい、このチームでタイトルを取りたい、という思いが1つになり、元日まで勝ち進むことができたのだ。

 

そうやって元日決戦を迎えた。これまで積み上げてきた質の高いサッカーに対する確信があり、サポーターの雰囲気も最高潮に達しており、かける思いが声援に伝わっていた。それを目にして「これは勝てるかも…」という期待感がふつふつと湧いてきた。いや、「これは勝てる」と確信したと言ったほうが正しいか。

が、試合直前にして冒頭に述べた嫌な予感が生まれる。それは、ゴール裏に現れたコレオを見た瞬間だ。

 

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↑これ

“制覇”とかそういう類の”絶対に優勝するぞ!”みたいな意気込みが込められた文字が来ると思ったので“賀正“という文字を見た瞬間に「え?」と思った。明確な理由はわからないが「これは勝てないかも…」とネガティブな感情がよぎり、わずか2、3分前に漲ってきた自信は驚くほどに矮小化された。

 

結果的に試合は延長線へもつれ込んで2−1で敗れた。チャンスは作ったが決めきることができず、わずかな差での敗北だったが、互いが得た結果の差は天と地の差だ。悪い予感は的中してしまった。結果論だが。

ただ、それよりもあのとき、小林悠やエドゥアルド、そして三好康児らが見せた悔しさあふれる表情に心を打たれた。だからこそ、次にタイトルがかかったときには彼らが喜ぶ姿を見たいと思った。

 

そして10ヶ月が経った11月4日、ルヴァンカップ決勝の舞台にフロンターレはいた。鬼木新監督の元で一体感を高めてリーグ戦でも優勝争いをしつつ、8年ぶりのこのカップ戦の最終決戦の地まで上り詰めた。相手は直近のリーグ戦で5−1の快勝を収めていたセレッソ大阪である。無冠同士で、どちらが勝っても初タイトルという状況だった。

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刻々とキックオフが近づく中、自分が注目したのは言うまでもなく試合前のゴール裏のサポーターが何を描くかという点。10ヶ月前の一件のせいで、そればかりが脳内を回遊していた。そして、その瞬間が来た。


元日の感覚と自分が見たこの2チームのコレオを照らし合わせると「これはセレッソなのかな」と思った。優勝への思いが画で表れているのはこっちだ。

 

果たして、結果はその通りになった。

 

前述したように元日に自分が感じた不安は現実のものとなり、この日の試合前に感じた予感は的中したのだ。実は、後日談になるが、吹田にいた鹿島サポの友人は元日のコレオを見て『これは勝てる、と思った』らしい。そして2試合共フロンターレは勝てず、優勝を逃した。これは事実である。

 

正直に行ってコレオが勝敗に関与するかと言われたら99.999999%、そんなことはないだろう。しかし、2度もこういうことがあるとどうも霧が晴れないのもまた、事実なのだ。

 

バタフライエフェクトではないが、そういったほんの僅かなところが結末を変えるのかもしれない。あんまり信じたくはないが、この2回の出来事から、そういう考えをするようになってきてしまった。


では、今日はこんなところで。

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